影片基本信息:
日语片名:火垂るの墓
上映日期: 1988年
导演: 高畑勋
编剧:野坂昭如 / 高畑勋
类型: 剧情 / 动画 / 战争
剧情简介:
美日战争爆发,14岁的清太带着年幼的妹妹到处逃命,当他们到达防空洞的时候,母亲已身受重伤,没过多久便不久人世。两兄妹自此过着相依为命的日子。他们只好投靠了母亲的姐妹,纵使他们把家里所有的家当都送给了阿姨,但当食物吃完,他们就越感到了寄人篱下的感觉,清太决定带着妹妹离开独自生活。火灾硝烟中的生活并不好过,清太为了妹妹四处偷取食物,但妹妹还是严重营养不良……
日语介绍:
アニメ映画『火垂るの墓』(英題:Grave of the Fireflies)が、新潮社の製作で1988年(昭和63年)4月16日から東宝系で公開された。制作はスタジオジブリ、監督・脚本は高畑勲。現在進行形のストーリーではなく、幽霊になった清太によるナレーションで過去の事を思い出しているものである。原作をほぼ忠実になぞっているが、後半部分の演出、特に節子の死のシーンの描写などはアニメオリジナルである[7]。挿入歌としてアメリータ・ガリ=クルチの「埴生の宿(原題:Home, Sweet Home)」が使われた。
映画『火垂るの墓』は、1988年(昭和63年)の公開時、宮崎駿監督作品『となりのトトロ』と同時上映されている。先に企画された『となりのトトロ』は、当初、60分程度の中編映画として企画されており、単独での全国公開は難しかった[14]。そこで同時上映作品として高畑勲監督作品『火垂るの墓』の企画が決定したという経緯が伝えられている。最終的に、両作とも上映時間は90分近くなり、長編2本体制で公開された。アニメ映画界の二大巨頭の代表作、しかも作風も物語も印象も全く相反する内容の作品を一緒に観ることができたが、当時としてみれば地味な素材であった上、東宝宣伝部が消極的だったことや[15]、高畑・宮崎両監督の一般的な知名度も現在ほどではなく、公開日が春休み後の中途半端な時期でもあったため、配給収入は5.9億円と伸び悩んだ。評論家からは好評で『キネマ旬報』誌の日本映画ベストテンでは6位に食い込んでいる。
両映画の制作はスタジオジブリで同時に進行した。東映動画でも長編作品を2本同時進行したことはなかったといい、高畑・宮崎の信頼に耐える主要スタッフ(アニメーター)は限られており、人員のやりくりに制作側は苦慮することになった[16]。特に揉めたのが作画監督の近藤喜文の処遇であった。結果として宮崎側が新しく参入したスタッフを中心に制作したのに対し、高畑側は近藤や美術監督の山本二三など旧知のベテランを集めた。
徳間書店社長・徳間康快の要請を受け、野坂の原作小説を文庫として販売している新潮社が『火垂るの墓』の出資・製作となっている。新潮社がメディアミックスで映像製作に携わる初めてのケースとなった。こうした経緯もあって、ビデオやLDは徳間系列ではないパイオニアから発売され、その後リリースされたDVDも、ジブリ作品としては例外的にワーナーの扱いとなっていた(新潮社との契約が満了した2008年8月以降はブエナビスタから再発されている)。2012年4月にはBlu-ray Disc版が発売された。
当初は両作とも60分であったが、高畑の『火垂るの墓』の時間が長くなると、対抗するように宮崎の『となりのトトロ』の時間も延び[17]、結果的に長編2本の同時進行となった。質を落としたくない高畑勲は公開の延期を申し出たが、1988年(昭和63年)4月の公開時点で清太が野菜泥棒をして捕まる場面など未完成のシーンが残ったままとなり、その部分は色の付かない白味・線撮りの状態で上映された(ただし、悲惨なシーンであるために事情を知らない観客には演出効果に感じられ、ほとんど話題にならなかった)。公開後も制作を続け、後に差し替えられている。
わずかながらも未完成のままでの劇場公開という不祥事に、高畑勲はいったんアニメ演出家廃業を決意したが、後に宮崎駿の後押しを受けて1991年(平成3年)に『おもひでぽろぽろ』で監督に復帰することになる(おもひでぽろぽろも本作と同じように現在進行形のストーリーではなく過去の思い出しである)[18]。